馬車道のように働く

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 こうして私は5年間、努力し、ある宝石の名前のタイトルを獲得することになります。九州で四人目だったと思います。

 ただ、そのタイトルを獲ったときには、心境が変化していきました。私はそれまで、「努力すれば誰でも成功できるのだ」と思っていたのですが、とてもそうは思えなくなってしまったのです。タイトルをを獲るまでに、あまりにもしんどい思いをしたからです。

 「これはとても、誰でもできるとは思えない」

 こう感じてしまうと、新しく入った人に「努力すれば必ず成功できますよ」などとは言えなくなります。逆に、「あぁ、このヒトは無理だろうな」と思ってしまうのです。それが原因で、メンタルブロックがかかり、私は新規のためのセミナーができなくなって、少しずつフェードアウトし始めました。

 権利的収入のビジネスなので月に数十万円は入ってきましたが、収入も次第に落ちていきました。

 第一線から離れているときにある外資系大手保険会社からヘッドハンティングを受け、営業マンとして在籍したこともあります。そこでもある程度の成績を上げましたが、管理されるのが性に合わず、入社してわずか1年半で辞めました。

 その後は通信の仕事や別のMLMに少し携わったりしていましたが、そんなとき、Y社の話を耳にしたのです。別に勧められたわけではありません。ある知人が「怪しい会社だよね」と否定的に言って資料をくれたので、興味本位でアメリカの本社に連絡をし、ディストリビューターの方を紹介してもらったのがきっかけでした。

 はじめは製品を使うだけの愛用者でしたが、製品も非常に良質でしたし、環境や安全性に対する配慮も抜群で、会社の姿勢も健全です。もし本物なら、すごいな、と思いました。そうです。スタートは、「もし本当なら……」だったのです。

 
 私はY社のビジネスをやってみることにしました。しかしX社の経験から、MLMで大成功を収めるのは、口で言うほど簡単ではないということがわかっていました。超人的な努力と才能が必要なのです。MLMを食わず嫌いで遠ざけている人は、よく見かけます。しかし、とことんやったうえで嫌っている人は、手に負えません。当時の私は、そんなひねくれた人間だったのかもしれません。

 だから、一応始めはしたものの、そこそこやって食えるだけの収入を得たら、後は創作活動に励んでいたほうがいいと割り切った状態が、なんと5年近くも続きました。そんな私に転機が訪れたのは、2001年のことです。

 
 ある春の日に「ベーシック(BASIC)」というセミナーと出会ったのが第一のきっかけでした。そのセミナーは、一生忘れないほどの衝撃を私に与えてくれました。

 第二のきっかけは、東京のNさんが、私に注目してくださらい、東京でのセミナーにゲストとして呼んでくれたことです。

 そして第三のきっかけが、のちに僕のパートナーとなり、人間としての可能性を引き出してくれることになるSさんとの出会いでした。彼女は前述の東京でのセミナーで、最前列に座っていた人でした。

 この三つ出来事が重なり、私はビジネスの取り組み方を180度変えることになります。それまで私は、Y社のビジネスに、腰が引けた状態でしか取り組んでいませんでしたが、その中途半端なあり方がグループの人の足を引っ張っているということに気付いたからです。
  
 それからの私は、自分のあり方を一変させ、率先して自ら手本を見せ、リーダーの育成にも力を注ぎました。

 改心?した私は別人のように動き、ついに2003年と2005年には、業界初の世界最高タイトルを獲ることができたのです。

 自慢しているわけではありません。こんなマイナスからスタートの私だからこそわかったことを、皆さんにお伝えしたいのです。教えてくれる人がいなかったばかりに、失敗という失敗をすべて経験した私だからこそ気付いたこと。それは、うまくいく人とそうでない人の明確な違いです。端的に言いましょう。

 うまくいく人はうまくいくやり方を、うまくいかない人は当然うまくいかないやり方をしています!そして、そこには多くの人が思っていることと【逆】と言っても過言ではないほどの違いがあるということです。

 では、うまくいくやり方とは、うまくいかないやり方とは、どんなものなのか?次回以降のブログで具体的にお話していきたいと思います。