才能がない?

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 絵描きといえば、昔から貧乏(笑)をを相場が決まっています。私も絵の勉強を目指したときから「これから一生貧乏なのだろうな。結婚できないかもしれない」と考えていました。

 でも、それでもよかった。当時の私は、世の中の幸せと考えられることをすべて投げうってでも、ストイックに絵に没頭したかったのです。

 ところが、絵の具に進んで間もない頃、画家を目指すものとして致命的な欠如を先生に指摘されていました。
 
 デッサン力はあるが、色彩感覚がない。だから彫刻家の道に進んだほうがいいのではないか、と言うのです。これには、軽いショックを受けました。色彩感覚は天性のもので、いくら努力してもよくなるものではない、そう宣告されてしまったからです。

 色彩感覚は、油絵にとって命。その色彩感覚がないと言われたということは、その道を諦めろと言われたようなものです。

 ところが先生に色彩感覚が悪いと言われても、不思議にピンときませんでした。自分だけは、努力することで何とかなるのではないかという気がしてならなかったからです。そのため彫刻に移ることはなく、優れた色彩感覚をもつ人の絵を研究したり、模写をしたりし続けました。

 そんな状態で3年がたったある批評会でのことです。

 高名な享受が、私の絵を手に取り、「この絵は誰が描いたの?」と聞いていました。「はい」と私が手を挙げると、「君、色彩感覚がいいねぇ」と言われたのです。不思議。に感動はなく、ただ「よし、やった。とうとう言わせたぞ」と思っただけでした。

 それからだんだんと色感がよいと言われるようになり、今ではどちらかといえば色彩で表現する絵を描きつづけています。

 後日談ですが、2、3年前のある日、新聞を見ていると、「色彩感覚は先天的なものでよくはならないと思われていたが、近年の調査で、色彩感覚も努力次第でよくなるということが学術的にも証明された」との発表がありました。

 このとき私は、やはり努力に勝るものはないと確信し、人の言うマイナスなことを鵜呑みにしてはいけないと実感したのです。


 ところで、なぜ私はそんなにも「努力すれば何でもかなう」と考えられるようになったのでしょうか?人がダメと言っているのに、なぜ「自分は大丈夫」と思えたのでしょうか?

 その理由は、小学校時代に体験したある出来事にありました。

 
 私が小学校3年制くらいのとき、亡き母が、全52巻の世界文学全集を買ってくれました。その際に母と、読んだ作品の感想を必ず書く、という約束を交わしたのです。普通なら本人も母もその約束を次第に忘れていって、うやむやになってしまうものですが、恐るべし!母は違いました。

 その約束をちゃんと覚えていて、夏休みになると毎日一つの物語を読み、必ずその感想文を書くということを強要されたのです(笑)。

 しかし母は、私にだけ厳しかったのではありませんでした。

 なんと母も同じ本を読んで、私の感想文の横に、毎日自分の感想文を書いてくれたのでした。

 その結果、国語の成績はぐんぐん伸びていきました。書いた感想文は学校で評判になり、全国で紹介されたそうです。

 こうなると期待を裏切るわけにはいかなくなり、結局、小学校6年生まで続けることになりました。

 でも、国語の成績どころではない大きな財産を、私はその読書の習慣から得ることができていたのです。

 それは本の中で繰り返し語られいたメッセージでした。読んだ本は昔の名作全集ですから、当然のように内容は観善懲悪ですし、すべてが「努力すれば夢は必ずかなう!」という内容です。私の頭の中にそうした考え方が染み付いたのは、おそらくこの読書体験があったからでしょう。

 だから、「色彩感覚が悪い」と先生に言われたときでも、反射的に「努力すれば色彩感覚はよくなるはずだ。では、どんな努力をすればよくなるんだろう」と思ってしまったのです。